G研の次の外来は2009年12月10日
その時にはPET検査の結果を持参したかったので、2009年12月2日にS病院へ電話。

PET検査の結果が送られてきていると言うので、さっそく当日取りに行く事に。
受付で用件を話し、診察室へ通されました。担当の医師には会えませんでしたが、看護師さんから
封筒を渡される。

中身を確認してくださいと言われましたが、怖くてちゃんと見る事が出来ませんでした。
パラパラとめくって、有難う御座いましたと言って診察室から出ました。



怖いけど、ちゃんと結果を見なくては…


病院内の人の少ない所に腰を落とし、封筒から取り出す


PET検査

写真は少しボケてしまって読みづらいですが、PETの結果ではリンパ節や他の臓器にも転移は無し。


   
 
 
ここ数日間の悪夢の様な日々の中で、久しぶりに明るい結果でした。
他の部分に転移が無ければ、ステージはⅠ期になる。
しかしPETも万能では無く、ごく小さな腫瘍は発見出来ない…

でも…でも…やっぱりその時はすごく嬉しかった。
さっそく夫に電話。一緒に喜んでくれました。

しかし、PETで慢性の鼻炎の事も分かっちゃうとは…

2009年12月10日夫と共にPET検査の結果を持ってG研へ。

「非常にきびしい状態です」と先生が一言。

そうそう、まだPET検査の封筒を渡してませんでした。

先生、これを…

先生が結果を読み始める。
しばし沈黙が流れる。

「良かったね~、これだと転移は無さそうだね。レベルダウンだ」



ホッとしました。
なんとなく、PETなんか当てにならないんだよとか、悪い事を言われそうな気がしていましたから。
でも、リンパ節が腫れているのは確かなので、やはり身体を大きく切って傍大動リンパ節の郭清をして、病理診断をしなくてはなりませんでした。

でもその時は、最悪の事態からは少し這い上がれたような気持ちになりました。
G研の初診の時の先生とのやり取りを思い出したんですが、

「明細胞ガンのⅢ期の場合、余命はどれ位でしょう。」

今にして思えば、良くそんな怖い事を聞いたな思うのですが、
その時の先生の答えは

「手術で取りきれなければ2年位かな」

2年…

変な話ですが、その時思ったのが東京スカイツリーの完成は見られないのかな、なんていう事でした。
今、東京スカイツリーが見えるたびにその時の事が思い出されます。

完成したら絶対見に行くぞぉ~

リンパ節の郭清について詳しくはこちらから

その後、G研での手術が2009年12月22日に決まりました。
入院は2009年12月19日から

最初のうちは年内の手術は無理かと思われていましたが、主治医の先生が色々と調節してくれたようです。

手術日が決まったという事で、以前S病院で採血した自己血を返血しなくてはという事になりました。
その血液をそのままG研で使えないのかと思いましたが、なぜか移動は出来ないみたいですね。

本来ならG研で新たに自己血を採血した後でないと返血は出来ないらしかったのですが、
そういった時間が無かったので、ひとまず2009年12月14日返血の為S病院へ。

個室に通され、点滴の要領で返血開始。
ハッキリとは覚えていませんが、3時間以上かかったでしょうか。
看護師さんもちょこちょこ様子を見に来てくれて、暇でしょうから携帯使っても良いですよと言ってくれたので何となく

返血

途中看護師さんに

「私、不妊治療とかもしてがんばってたのにどうしてこんな事になっちゃったんでしょう。」など、愚痴をこぼしてしまいました。

看護師さんもだまって聞いていてくれました。

無事終了して看護師さんが、こちらに来るのは今日で最後なんですねと。

はい、あとはG研の方でお世話になります。

「頑張ってくださいね」

と声をかけて頂きました。

実際転院出来て良かったなと思います。
前にも書きましたが、S病院では個室になってしまうので入院、手術で2~3週間も入院してしまうと、部屋代だけでとんでもないことになってしまいます。

G研の方が家から近いですし、不幸中の幸いといった所でしょうか。

最後の抗がん剤が終わって、今日でちょうど1ヶ月。
今はまだ手と足の軽い痺れが残ってる。完全に無くなってくれると良いんだけど。

髪の毛はまだ少し抜けるけど、新しく生えてきてる髪もあるみたい。
味覚障害はだいぶ元に戻った感じ。味が分からないのは結構きつかったなぁ。 

手術の傷跡はおへその辺りだけまだ少し硬い。
一応小さめの写真を載せてみました。実際より赤っぽく写っちゃったかな。

写真はおへそより上の部分。
おへそから下も恥骨のあたりまでバッサリ切ったから、傷跡は30センチ以上
けっこう綺麗だと思うけど、まだまだ温泉に行く勇気はありません


傷跡

当初、ブログを書く予定は無かったので入院中の細々した事はメモしてなかったのですが、
何とか思い出しながら書いていきます。

2009年12月19日に入院。部屋は差額無しの4人部屋。
結構人見知りしてしまうたちなので大部屋というのは心配だったけど、皆さん良い人達だったので安心しました。他の方はすでに手術を終えていたので、色々と教えて頂く事も出来ましたし。
ベッドは窓際で眺めもよく、あとは覚悟を決めて手術の日を待つのみです。

手術に向けての検査はほとんど終えているので特にする事も無かったけど、ただ肺の機能を高める訓練をするため道具を使って息を吸ったり吐いたりしました。術後タンを出しやすくするためだったかな?


手術は2009年12月22日


前日には麻酔科の先生から麻酔についてのお話と、主治医の先生から手術についての詳しいお話がありました。手術の説明の時は夫と母親に来てもらいました。

病名     卵巣ガンの疑い
手術術式  両側付属器切除、子宮摘出、大網切除、骨盤~傍大動脈リンパ節郭清、直腸切除

手術時間は7時間~8時間 直腸切除は、子宮との癒着が酷い時のみ。

詳しく聞いてしまうと、やはり怖いです。逃げ出したくなります。
どうして自分がこんな事にと…

手術の説明が終わったのがもう8時過ぎてたかな。もうすぐ消灯になってしまいます。

看護師さんが眠れなそうだったら眠剤を持ってきましょうかと言ってくれましたが、断りました。

多分眠れないと思うけどどうせ次の日はずっと寝ているんだし、私の身体の中に全ての臓器がキチンと揃っているのは今日で最後なんだと思うと、眠るのがもったいない気がした。

私の子宮と卵巣…

今までありがとう。お疲れ様でした。



そして



さようなら…  まだまだお腹の中にいて欲しかったヨ。
 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。